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8月15日に考える(過去のFacebook記事より)

今日は8月15日。終戦記念日らしい。ただ、現実には、確か、日本が「降伏」した日。決して、「終戦」の日ではないのか?

先日、「慰める」という言葉に、「シズメ(鎮め)」と「フルイ(奮い)」の二面性があると書いた。遺骨収集から、戦争犠牲者と、残された生ある者との関係を研究する東京大学の先生が、そう話した。

「慰霊」という言葉がある。「慰霊碑」というモノがある。日本人は毎年、夏になると、原爆の日や終戦記念日に加え、各地の空襲日などに合わせて「慰霊」の儀式を行う。

石碑を前に、人は、手を合わせて頭を垂れる。

さて、その時…あなたは、心で何をつぶやくだろうか?

「静かにお眠りください」→これが「シズメ」。つまり、故人の魂を鎮める鎮魂の儀式。

「2度と過ちは繰り返しません」→これが「フルイ」。つまり、過去の認めがたい事実に直面することで、己の魂を奮いたたせ、故人との対面を通して、新たな誓いを明らかにする行為。

人は、この両面を、石碑に対して抱くという話だ。

「フルイ」は、もう一つ存在する。

「あなたの命を奪った国(人、歴史、思想…)を、私は絶対に許しません」という「攻撃的フルイ」。分かりやすく言うと「アオリ(煽り)」。いわゆる煽動。

僕は、この大学の先生の話を聞いて、すっごくスッキリした。

日本は、8月になると、マスコミが一斉に「終戦モード」に突入する。戦争体験や空襲体験など、悲惨な体験記が語られる。戦争を直接、もしくは一次的に関わった(戦争犠牲者の子どもや妻)方が、どんどん亡くなっていく現状を考えると、その意義は確かにあると思う。

先の先生は、「隣人を殺さなければ、あなたは死ぬとする。その極限状態で、あなたはどう振る舞うか」とも問うてきた。決して、過剰な想定ではない。現に、世界中には、そんな選択を迫られる人が存在する。

「日本は別格だ。そんな社会になるはずはない」

本当に、そうだろうか?

今回の先生を誘致した寺の住職は、こう言う。

「(ゴレンジャーから続く)戦隊ヒーローものは、正義のためなら悪者を殺していい、という英霊教育を施してきてるのではないか」

話が飛躍していると感じるだろうか?

石碑の前に立つ時。自らが吐き出す「シズメ」と「フルイ」の両面に向き合わなきゃいかんと思った。

そのためには、無関心でいることが最大の敵だということ。

誰一人として、戦争を望む者はいないはずだ。なのに、戦争へと導く力が、なぜ発生するのか。

「シズメ」なき「フルイ」だけでも、「フルイ」なき「シズメ」だけでも、答えは見えないと感じる8月15日。

僕は、無知すぎる。

2013年8月15日投稿記事より。

https://www.facebook.com/100003345513988/posts/417152495072931/

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